霧島神宮は、鹿児島県霧島市にある神話と深い歴史を持つ格式高い神社です。その歴史は古く、幾多の困難を乗り越えて現在に至ります。
霧島神宮の始まりは、6世紀頃と伝えられています。僧・慶胤(けいいん)上人が、高千穂峰と御鉢の間の背門丘(せとお)に社殿を造ったのが起源とされています。古くから、霧島山周辺の修験道の拠点として重要な役割を担ってきました。こちらが前々回投稿した元宮となります。
霧島山は活火山であり、噴火による被害や火災で社殿は何度も焼失しています。そのたびに再建が繰り返されてきました。
1234年までは現在の高千穂峰への南側登山道入口近くにありました。現在もそこは「古宮址」として石段や鳥居が残されています。こちらが前回のお話です。
1715年、当時の薩摩藩第21代藩主・島津吉貴(よしたか)の寄進により、現在地に社殿が再建されました。これが現在の国宝・霧島神宮の姿の礎となっています。島津家は霧島神宮を霧島権現と呼び、歴代藩主は多大な崇敬を寄せました。神領(神社の領地)の寄進や修繕のたびの経済的支援など、薩摩藩が組織として霧島神宮を支え続けてきました。
島津家にとって霧島神宮は、単なる氏神(うじがみ)以上の存在でした。神話の地である霧島に鎮座する神社を厚く遇することは、薩摩の国主としての権威を象徴する行為でもありました。神宮内には、薩摩藩のシンボルである丸に十の字(島津十字)の紋章を見ることができます。

霧島神宮の境内にそびえ立つ御神木は、その圧倒的な生命力と神秘的な伝承から多くの参拝者に親しまれています。霧島メアサという杉の一種で、樹齢は推定800年以上です。御神木を少し離れた場所(特に裏手側)から見上げると、木の枝の一部が烏帽子をかぶり、本殿に向かって手を合わせている神官の姿に見えると言われています。

高低差のある地形を巧みに利用し、一番高い場所に本殿が配置されています。階段を上りながら徐々に神域へと近づいていく演出には、参拝者を圧倒するような力強さがあります。遠くから眺めると、急斜面に重なり合うように配置された屋根の重厚感と、自然の中に浮かび上がる華麗な建築美に圧倒されるはずです。

霧島神宮が今日、多くの参拝者を魅了する「国宝」としての美しさを保っているのは、かつての薩摩藩がその歴史を守り、後世に伝えようとした強い意志があったからこそと言えます。