五稜郭をあとに
五稜郭をあとに諸外国の脅威に対抗するとともに日本の威信のために計画され、やがて明治政府と異なる未来を描いた者たちの夢の舞台となった五稜郭。 「たとひ身は蝦夷の島根に朽ちるとも魂は東の君やまもらむ」すでに盟友の近藤勇や沖田総司など仲間を失い、たった一人になっても、新選組のために戦った土方歳三の辞世の句を思いながら、
幕末ロマンの扉をあけて
幕末ロマンの扉をあけて箱館港に碇泊した新政府軍の軍艦は、五稜郭に向かって艦砲射撃をおこないます。この時には、大砲の射程距離は4km以上に進化しており、港から約3kmの位置にあった五稜郭にも充分に砲弾が届く強力なものでした。五稜郭、箱館奉行所は、外国船からの艦砲射撃を避けて五稜郭に移転したはずでしたが、五稜郭築造からおよそ
箱館奉行所の梅
箱館奉行所の梅この梅の木は、箱館奉行所古写真(1868年頃)に写されているものを、専門家が最先端の写真解析により位置を特定し、箱館奉行所復元時に植栽したものです。とても艶やかで気品のある梅の木です。
五稜郭タワー
五稜郭タワー幕末の黒船来航に端を発し、新政府軍と旧幕府軍の戦いの舞台になった歴史上欠かせない場所 五稜郭。五稜郭タワーからはすべてが見渡せます。今回はおすすめの見方だけ説明します。①なぜこの場所に建てたのか②なぜ星型なのか歴史は難しいのでこれだけで十分です。興味がわいたら、そこから詳しく調べたらいいかと思います