豪華すぎた宮殿 前編
東京の四ツ谷駅を降りてすぐに、とても日本の街並みとは思えない、真っ白な門の向こうに白亜の宮殿を臨むことができます。
この場所は、かつて紀州徳川家の江戸中屋敷があった敷地です。20万坪に及ぶ広大な中屋敷の一角、3万坪を越える広大な敷地に迎賓館赤坂離宮は建ちます。
当時の皇太子が住む「東宮御所」として建設されたこの宮殿は10余年の歳月をかけて、明治42年(1909年)に完成しました。
設計したのは、片山東熊(かたやまとうくま)です。他にも「奈良国立博物館」「東京国立博物館 表慶館」など重要文化財に指定されているものを設計しました。
当時、結婚を控えた東宮(大正天皇)のために、新居となる東宮御所を建設するという特命を受けたのです。西欧の列強諸国に肩を並べることを目指した時代、西欧の宮殿に遜色のない建造物が求められました。しかし実際には、洋風文化を受け入れはじめたばかりの日本では、建設技術のレベルからみても、室内装飾や日本特有の地震対策も極めて困難なものでした。この問題を解決するために、東熊の元には当時の日本を代表する学者、芸術家、技術者が集結しました。建築、美術など各界から国内の精鋭たちを総動員して始まった東宮御所の建設は一切の妥協を許さないものでした。
そして出来上がった宮殿は、日本が渾身の力を振り絞り築いたまさに傑作で、外観は欧米諸国で流行し始めたネオ・バロック様式を採用し、正面外観はウイーンの新王宮、ベランダにはルーヴルを模し、室内装飾に至ってはフランス18世紀末様式が採用されたのでした。
耐震対策も完璧で大正12年(1923年)の関東大震災にも耐えられました。
まさに天文学的な費用も投入されており、50年前に試算したところ2000億円をかけても同じような立派な建物はできないとされました。
そうして類を見ない壮大かつ絢爛豪華な宮殿が日本に誕生したのです。

しかしながら、あまりに贅を極めた宮殿は「豪華すぎる」という理由から明治天皇の意向に沿わず、当時の皇太子ご夫婦が過ごすことは叶わなかったのです。
後編へつづく
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投稿を表示いつも車で前を通って素敵✨と見ています。今度立ち寄ってみたいなぁ〜
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あの素敵💓を横目に…いつも通り過ぎていた…赤坂迎賓館✨に
このような深いお話しが…あったの
ですね〜🙏
素晴らしい💖お話しを伺えて…
よかったぁ〜と思える自分がおります
🤗有難うございました…
そして…後編が…😅気になります😊🙏