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ティム
2024/09/15 23:42

夢を創り続けた場所

今日は蒲田に用事があり少し時間があったので、松竹キネマ蒲田撮影所跡地に立ち寄りました。

現在、この撮影所の跡地には大田区民ホール アプリコが立っています。

アプリコの敷地内の庭園には、映画「キネマの天地」のセットで使用された松竹橋があります。

かつての撮影所の入り口に架かっていたオリジナルの橋もアプリコのフロア内に保存されています。

オリジナルの松竹橋

蒲田撮影所は1920年から、大船に移転する1936年までこの地にありました。

当時の蒲田周辺には俳優も多く住み、「流行は蒲田から」と言われるほどの華やかさと活気にあふれていました。

蒲田は開発の遅れた地域で、東京近郊にありながら広い敷地を確保することができました。そのため大正時代になると、社会に変革をもたらすような最先端産業の工場が続々と建てられるようになります。

昭和時代に入っても蒲田に進出する工場は増えつづけます。雇用が増え人々が集まると盛場も多くなり街は発展をつづけますが、それが撮影所の存続を危うくするのです。

その頃の映画は無声映画が中心でしたが映画業界はトーキー映画へとシフトした最中でした。これまでのような無声で字幕ではなく、俳優が直接セリフを喋り、シーンを盛りあげる効果音や音楽が流れるものです。

いまではアフレコなどは当たり前ですが、当時は音声の録音は撮影と同時におこなうしか方法がなかったのです。防音設備がなかったスタジオでは、近隣の工場からの騒音が響いてきて録音ができなかったのです。これから先の未来ある映画をこの地で創ることを断念せざるを得なかったのです。

そうして騒音のしない大船に移転して、幕を閉じることになります。

蒲田はその後戦争ですべて焼けてしまいます。

 

かつての栄華はなくなってしまいましたが、ここは間違いなく蒲田の地で夢を創り続けた松竹キネマ蒲田撮影所の跡です。

蒲田は羽つき餃子発祥地(写真は歓迎)

 

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3 件の返信 (新着順)
まるまる
2024/09/16 16:42

大船以前に蒲田に撮影所があったのですね。知りませんでした。
「蒲田行進曲」の舞台なのでしょうか。名作ということは知っているのですが、封切り当時は多分幼少期で観たことがないので、いつかみたいなと思っている作品です。
大田区に育った叔母がいて、海苔の養殖時代があったり、変遷が大きい土地柄と聞いています。昔の歴史の面影を辿って歩いてみると楽しそうですね。

江戸っ子ぴー
2024/09/16 08:54

私も、松竹キネマ蒲田撮影所は蒲田行進曲で知りました。
羽根つき餃子は、こちらのコメントで知りました。
場所に食に歴史ありですね~


ティム
2024/09/16 12:22

コメントありがとうございます。蒲田羽つき餃子の御三家は你好(ニーハオ)歓迎(ホアンヨン)金春(コンパル)です。3店舗はいずれも餃子専門店ではなく大衆的な中華料理店です。

MNnikotama
2024/09/16 08:03

蒲田行進曲のメロディは存じあげ
何回も演奏してきましたが…🎵
そのような歴史があったとは初めて
知りました🙏💦🙇‍♀️
アプリコホールには何回も伺いましたが…いつもホールへ急ぎ向かってましたから松竹橋✨✨あったんですね〜
次回に伺った時には探してみます🙏👍🤗


ティム
2024/09/16 12:52

アプリコホールの一階左手にありますよ。蒲田行進曲はオペレッタの劇中歌だったそうで、それに日本語の歌詞を付けたものが1929年の松竹映画「親父とその子」主題歌となります。
レコードが発売されたところ大ヒットして松竹蒲田撮影所の所歌になったという歌です。
キネマの天地でも流れていましたが、つかこうへいの映画での蒲田行進曲の方が皆さんの記憶に残ってるようです。

蒲田行進曲は、山田洋次のキネマの天地。深作欣二の蒲田行進曲。で使用されますが、この2つの作品にはさまざまな感情的な問題があったそうです。