狩野山楽
狩野山楽は狩野の血筋ではありません。武門に生まれ、若くして秀吉に画才を見出され、秀吉は、狩野永徳に山楽を弟子にするように勧めます。
狩野永徳は安土城、聚楽第、大坂城の障壁画を制作する当時大人気の幕府御用達の狩野派絵師であり、弟子入りを希望する人は多く、秀吉の紹介だから仕方なく、とりあえず絵を描かせてみます。
すると山楽には絵の才能があり、すぐに永徳の絵画制作に加わることになります。
狩野永徳は代表的な狩野派画人であり、日本美術史上においても著名な画人の1人です。「洛中洛外図屏風 上杉本」は有名です。
やがて山楽は、名門狩野姓を許されるまでになり、狩野山楽の名前をいただき知名度は上がっていきます。永徳が東福寺法堂(はっとう)天井画の制作中に倒れると、あとを引き継ぎ絵を完成させたのが山楽でした。このとき自他ともに永徳の一番弟子と認められたのです。永徳の没後も有力門人として活躍しました。山楽は豊臣家と永徳から受けた恩義を忘れず、狩野本家が永徳の豪壮な画風から離れていくのに対して師の画風を守り通します。
1615年の大坂夏の陣で豊臣家が滅亡するまで大坂にとどまり、戦後残党狩りの標的となりました。
狩野山楽の絵を絶やしてはならないと、松花堂昭乗の庇護と九条家および二代将軍徳川秀忠の歎願により助命されます。以後は徳川家の仕事に従事したものの、京都で養子の山雪らとともに制作を続けるのです。
狩野本家のように江戸に移って幕府御用達の絵師とはなりませんでした。
「江戸狩野」はわずか16歳で幕府の御用絵師となった永徳の孫の狩野探幽(かのうたんゆう)を筆頭に、江戸狩野250年の礎を築きあげます。探幽は江戸城、二条城、名古屋城、御所などの江戸幕府の大事業に狩野派一門の総師として参加します。また大徳寺、妙心寺などの京都の大寺院の障壁画も担当します。
狩野山楽・山雪の家系は、代々京都で画業を引き継ぎ、のちに「京狩野」と呼ばれます。
狩野派という組織は当時、工房としての絵のスタイルを確立しました。真・行・草の3様式を定め、弟子たちに学ばせることで、絵を分業制にした絵師集団です。血縁関係で結ばれており、永徳、秀吉という後ろ盾を失った山楽は江戸狩野派に京都の寺院の仕事も取られるなど表舞台から次第に姿を消していきます。
血縁関係で強く結ばれてきた狩野派にとって山楽は実力はあっても邪魔だったようです。
前置きがとても長くなりましたが、現在、東京国立博物館では、開創1150年記念 特別展「旧嵯峨御所 大覚寺―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」が開催されており、狩野山楽の襖絵が大規模に展示されているのです。写真は一部分ですが、18面に渡る「牡丹図」は圧巻ですが、他にも狩野山楽の作品がここまで揃うことはありません。
他にも渡辺始興(わたなべしこう)の作品もあるのです。琳派※(りんば)に属される絵師ですが、私は大好きです。
※本阿弥光悦と俵屋宗達が創始し、尾形光琳によって発展、酒井抱一らが江戸に定着させた流派です。
もし大覚寺展に行ってみたいなぁと思っている方がいらっしゃいましたら、このあたりを観ると、とても楽しめます。
ぜひ、興味がある方は行く価値のある企画展です。

補足ですが、この展示会の半数くらいの方が、刀剣を目当てに来館されてるようでした。大覚寺蔵「薄緑<膝丸>」と、北野天満宮蔵「鬼切丸<髭切>」という重要文化財の兄弟刀が、京都以外では初めて同一ケース内で展示されており、このブースは並んでいます。
日時指定しなくても並ばずに入れます。

特別展
「旧嵯峨御所 大覚寺 ―百花繚乱 御所ゆかりの絵画―」
会場:東京国立博物館 平成館
会期:2025年1月21日(火)~3月16日(日)
※会期中、一部作品の展示替あり
前期展示:1月21日(火)~2月16日(日)
後期展示:2月18日(火)~3月16日(日)
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投稿を表示ティム 様
沢山の情報有難うございます。
狩野派 琳派…
美術史と御用達
時代背景と権力争いはいつの世も
裏の裏は行き過ぎますが
仰るように歴史と文化と勢力図を
重ねると更に興味深くなりますネ。
京都の重要文化財「薄緑」「鬼切丸」
徳川美術館一時刀剣魅せられました。
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投稿を表示なかなか拝見出来ない価値のある
ご企画のお話し🙏
詳しく有難うございました🤗
日にち指定もなく〜なんて…
有り難いですよね〜👏👏👏
風格高きお見事な襖絵✨✨💖
チャンスがあれば✌️😊🙏貴重な
経験ができますね〜🙏