国譲りのお話
出雲大社建立のきっかけとなる出来事「国譲り」という神話からお話します。このお話には、2つの歴史書があります。古事記と出雲国風土記です。古事記は大和朝廷が編集、出雲国風土記は古事記の20年後に出雲国の国庁が編集しています。
古事記では、出雲の国を平和に治めていた大国主命(オオクニヌシノミコト)のもとに、天照大御神(アマテラスオオミカミ)の遣いがやってきます。
突然のことに驚く大国主命でしたが、大事な客人なので接待をします。この接待に気をよくした遣いは気づいたら、その人柄に惹かれ、自分のお遣いを忘れてしまいます。
天照大御神は2人目の遣いをさせますが、同じ結果になります。3人目の遣いは強引に話しを進め、力比べで決着をつけようと提案し、出雲側が負けたため「お言葉通りに全て献上します」と出雲の国を渡します。
出雲風土記では少し違います。
「私が支配していた国は、天照大御神に統治権を譲りますが、出雲の国だけは今後も鎮座する国として、私が守ります」と大国主命はいいます。
ただ、どちらにせよ出雲の国が大事なのならは、大国主命を神様と仰ぐあの出雲の国中の人間ごと根絶やしにしてしまえ!と大和の軍勢が出雲を攻め立てるのです。
そうして天照大御神は、出雲の国を手中に治めます。
生き残った出雲の人々の怨念を恐れた大和朝廷は大国主命を祀る神殿を建立し、周りに怨念を封印する結界として、四重にも鳥居を張り巡らせることになります。
これが4つの鳥居です。
1.宇迦橋の大鳥居、2.勢溜の鳥居、3.松の参道の鳥居、4.拝殿前の鳥居です。
よく写真に出てくるのが2.勢溜の鳥居ですので、1.宇迦橋の大鳥居を見過ごす方がいます。宇迦橋の大鳥居から勢溜の鳥居までは10分くらい歩きます。
今年を締めくくる旅路は出雲国です。
写真は稲佐の浜にある弁天島です。昔は弁財天が祀られてましたが、明治からは豊玉毘古命(とよたまひこのみこと)が祀られています。
この浜(稲佐の浜)は旧暦10月10日に、全国の八百万の神々をお迎えする浜でもあります。
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投稿を表示ティムちゃん‼️
どこからかなぁと思っていたら今年、最後は『出雲大社』😊いずもおおやしろ
行きたい神社⛩️の一つ💕
建立の歴史にも諸説あるんだね👀
写真で拝めて今年を締めくくれるなんて
来年もいいことありそうな予感😍
ティムちゃん、ティムさん
ありがとうございます😊😊
🐰⛩️😍
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投稿を表示🙏神様達がお留守の10月『神奈月』の
神様集合場所の出雲は存じておりましたが…
こちらの稲佐の浜でしたか✨✨👏👏
「国譲り」の貴重なお話し✨✨
今年最後のティムちゃん達の道中ご投稿
としてご立派な締めくくり✨
沢山の日本の良きお伝えをお知らせ頂き🙏
2024も有難うございました🤗
出雲国のご投稿、お写真、👏👏
身の引き締まる年末を迎えれる事が
出来ます🙏