京を凌ぐ平泉の栄華 ③
秀衡が中立を保っていた頃、平家を滅ぼした源頼朝から牽制のような書状が送られてきます。秀衡は衝突を避けて対応します。
頼朝は、奥州で絶大な力を持つ秀衡をかなり警戒していたようです。その後もたびたび圧力をかけてきます。前回お話した2度にわたる奥州の戦いに加担するものの手に入れられなかった源氏にとってはどうしても奥州を手に入れたかったのです。
その頃、源頼朝の弟である義経(よしつね)が追放されて、行くところがなくなり奥州へやってきます。彼は以前、秀衡のもとに身を寄せていたことがあったのです。
秀衡は苦渋の選択で、源頼朝との戦いを覚悟し、義経をかくまうのです。
ところがこの年、秀衡は病で世を去ってしまいます。
4代目の泰衡になり、しばらくすると義経の奥州潜伏が源頼朝に発覚してしまいます。源頼朝は泰衡へ、義経討伐の命を何度も要請しますが、動きがないため奥州藤原氏が義経の味方であると確信し、朝廷に奥州討伐を申し入れるのです。
このとき泰衡らは「義経が見つかり次第、討ちます」といった書状を送りますが、源頼朝は、もう相手にしなかったのです。
ようやく泰衡は義経一行を攻め入り、自害に追いこむのです。
泰衡は義経の首を源頼朝に送りましたが、もう意味がありませんでした。
源頼朝は既に、奥州藤原氏を滅ぼすと決意していたのです。そして全国の武士へ奥州攻めの動員令を発し、自らも鎌倉から軍を率いて奥州へ向かいます。
泰衡は殺され、権勢を誇っていた奥州藤原氏は、このときをもって滅亡するのです。
平泉は、藤原氏という庇護者を失ったことから、少しずつ衰退していきます。毛越寺の円隆寺、中尊寺主要堂塔と徐々に焼失します。往時の建物の多くは灰になり遺跡化しました。
それでも平泉の人々は、誇りを持ち続け、遺跡を良好な状態で現在まで守ってきたのです。舞などの芸能も現代まで伝えられています。そのおかげで今や世界中から人々が訪れる地になったのです。
平泉の文化遺産は、過去の栄華の痕跡ではありません。今もなお息づいているのです。
そして
中尊寺金色堂には、清衡・基衡・秀衡のミイラ化した遺体と、泰衡の首級(打ち取った首)が今も安置されています。
おしまい
一ノ関に行く前に駅弁買ってしまいました。。。
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投稿を表示判りやすいご説明、ありがとうございます。
もう一度、訪れて見たくなりました。
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投稿を表示さすがティムさん!👀
知り合いが岩手にいらしたので
友達や家族で何回か訪れ
その度に華やかだったであろう
平泉に思いを馳せていました
でもおっしゃる通り
今も輝き✨続けているのですね
あらためてティムさんのおかげで
振り返りました
ありがとうございます
また訪れてみたいです
そしてお弁当🍱美味しそう🥰
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投稿を表示ティムちゃん‼️ティムさん
中学の修学旅行ではそんな奥深い歴史があるとは知らず、ただ見学に追われていただけだったから、今回の詳しい解説で
改めて平家、源氏、藤原家の歴史を思いながらまた訪れてみたいです✨✨
そして、金色堂にミイラ化された遺体が
安置されているとは、、、💦
金格ハンバーグと牛あぶり焼き弁当🍱
美味しそう😋😋
次は一関ねー💕
🐰✨✨🍱
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投稿を表示平家、義経、奥州藤原氏と続く悲劇…貴族の世から武士の世へと移る過渡期の時代の混沌が平泉にも色濃く残っているのですね。こちらも訪れてみたいです。詳しいお話ありがとうございます。
それにしても、岩手県のこの辺りは、花巻市の宮沢賢治、奥州市の後藤新平や大瀧詠一など偉人級の方々を輩出していますね。その土壌も素晴らしいのだろうと思い、なかなか実現しないのですがいつか訪れてみたいと思っています。
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投稿を表示楽しく興味深く拝読させて頂きました。
子供の頃平泉は家族旅行で訪れたのですが、当時は全く歴史に興味が無く、ちゃんと見学しなかった事を後悔しています。ティムさんの素敵な解説に触発され、改めて訪れたいと思いました❣️
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投稿を表示ティムちゃん😋
お弁当🍱美味しそうね〜👏👏👏✌️
平泉の文化遺産✨✨
素晴らしいのですね〜💓舞、芸能を
調べてみたくなりました🙏
偉大な過去の蓄積の上に✨✨👍🙏
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投稿を表示中尊寺で行われる延年の舞、現地で一度は観たいものです。以前、国立能楽堂に来た時に観ただけなので…。