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ティム
2025/02/18 00:01

鹿島神宮 ②

日本の初代天皇となる彦火火出見(ひこほほでみ)は、九州の高千穂を出発し船で海を渡り大和(今の奈良県)を目指します。東征の途中、一行は熊野の悪神の毒に倒れてしまいます。

地上世界の喧騒を心配した天照大御神(あまてらす)は、すでに天孫降臨を成就させた武甕槌神(たけみかずち)を遣わそうとしたところ、武甕槌神は「自分が行かずとも、国を平定した特別な剣があるのでそれを天より降せばよい」と武甕槌神の神剣である「韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)」を地上に届けます。剣の神威により息を吹き返した彦火火出見の軍は見事大和を平定し、彦火火出見は神武天皇として日本の初代天皇に即位されます。

神武天皇は剣に救われた神恩への感謝から、鹿島地方に神社を創建します。紀元前660年に創建されたこの神社こそが、鹿島神宮です。

何故鹿島なのか。も含め東国ついては「記紀」でも詳しく語っていないのです。記紀自体、政権による統治の正当性や国家の形成、発展の来歴を明示することを目的として、奈良時代に国史を編纂したものであるため、触れてはいない部分も多いのです。

天照大御神により武甕槌神は、鹿島の神とされたのは確かなものであろうかと思うわけです。

大国主神が日の沈む西の果て「出雲」に対し日の出る東の果て「鹿島」に天照大御神の遣いである武甕槌神を置いたと解釈すると、神話としてはしっくりくるのです。

また、日本のほとんどの神社は参道、本殿は東か南向きなのですが、鹿島神宮は西から参道が始まり、本殿は北を向いているのです。

大和朝廷はかつて東北にいた蝦夷という民族に苦しめられました。武力・経済力とも非常に強い民族で、何度も征夷大将軍を筆頭とする討伐軍を送るが、一進一退を繰り返し、常に蝦夷の侵攻に怯えていたのです。

当時の常陸国(茨城県)と上総国(千葉県)は、朝廷の国府が置かれていた場所であると共に、蝦夷征伐において重要な軍事輸送拠点でした。そして蝦夷の侵攻から大和国を守るために、鹿島神宮の本殿を北側に向けたようです。


色々と謎の多い鹿島神宮ですが、間違いなく光の射す神聖なところです。

さらに考察していきましょう。

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6 件の返信 (新着順)
MNnikotama
2025/02/20 22:42

素晴らしい木々の隙間から溢れる✨ステキ💓な✨光射す神聖なお写真🙏
正しく内容深いお話しのスタートに
相応しい一枚に💖感動👏👏👏👍
日の昇る東の果てに…今✨
ティムちゃん達が…👏👏👍
更に感動🙏🤗ありがとう😊

アキマール
2025/02/19 12:10

茨城県出身です。
鹿島神宮は身近な存在ですが、要石など、不思議なこと多々あります。
こんなに詳しく教えて頂き、感謝です!

ミーママ
2025/02/19 11:14

ティムちゃん‼️
日本の初代天皇、神武天皇。
諸説あるのだろうけど、色々な災難にありながらも東を目指したんだね。
そして即位✨✨木漏れ日が神聖な地を表しているね。
奥が深い鹿島神宮との関わり、さらに深掘りお願いします🤲

    🐰⛩️

ムムムノム
2025/02/19 09:30

情報ありがとうございます。
先日、ここで結婚式を挙げた知り合いがいて、いいなと思っていたところです。
こういう話はとてもためになります。そうだったのかと思います。

ゆきちゃん
2025/02/19 09:03

鹿島神宮、一度参拝したことありますが、色々知らないことが…
勉強になりました👍️

まるまる
2025/02/18 23:28

なるほど、蝦夷対策なのですね。
白河の関や勿来の関のラインよりも手前に軍事拠点があって、という古代の朝廷の壮大な守りが見えるような気がします。ロマンを感じます✨