画狂人葛飾北斎の美術館 ①
なぜ北斎の作品を専門に扱う日本初の美術館が、人口1万人ほどの小さな田舎町に誕生したのでしょう。
北斎館は今から48年前、1976年にオープンしました。
北斎館が出来る前は、小布施の地元の人に北斎はあまり知られていない存在だったようです。北斎の作品は一般のお宅の蔵などに眠っていることもあり、海外の画商が買い付けて、作品が国外に流出してしまうことも多かったようです。小布施では版画はしていないので、北斎の走り書きのような絵でも一点物ですので驚きですね。
北斎館の建設は、当時小布施町の町長だった市村郁夫氏の発案でした。
現在の小布施堂の代表である市村次夫氏の父になります。
小布施編「ここまで偉大な街にしたもの」で記載した市村家がここでも関係しています。
さて、当時市村郁夫氏が何故、北斎館を建設しようかと思った経緯は、東京の美術館から北斎作品の展示に協力してほしいと小布施町に依頼がきたのがきっかけです。
北斎展というものは、1966年にモスクワで開催され世界的な北斎ブームが起きていました。
その後、1967年に日本橋高島屋で開催され、さまざまなところで北斎展が開かれていきます。
(この頃の絵画展は百貨店が主流でした)
小布施町が貸し出すこともありましたが、展覧会の多くは北斎の版画が中心でした。
さて、前述の市村郁夫氏のもとに届いた東京の美術館の驚くべき依頼内容は、「肉筆葛飾北斎展」に協力して欲しいというものだったのです。
その美術館こそが、東急グループの礎を築いた五島慶太が設立した世田谷区上野毛にある五島美術館なのです。
この事がきっかけで、北斎館の構想が本格的に始まるのです。
葛飾北斎の肉筆画を展示する北斎館は、小布施町に全世界から人を呼び寄せる大きな価値があるものですが、設立時は賛否両論がありました。小布施堂と桝一市村酒造場の向かい側にあり、「我田引水」という誹謗中傷もあったようです。
画狂人葛飾北斎の美術館 ②へつづく
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投稿を表示ティムちゃんの…内筆画派👏👏
なるほど〜🧐と理解できたように
感じました🙏👍🤗
世界的ブームが…✨✨
スタートだったんですね〜💖
しかも…モスクワ😱
💪日本🇯🇵で…勇気ある小布施✨✨
常に新しい取組には賛否両論…
あってこその偉大なる現在でしょうか
🙏🙏👍
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投稿を表示なるほど。
古今東西、芸術の振興にはパトロンが必要で、教会や神社仏閣等宗教的なものだったり、宮廷だったり、資産家だったりしますが、小布施における北斎の芸術も市村家の功績無しには語れないのですね。
その流れで時代が下ると地元との摩擦も生まれ…
考えさせられます。
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投稿を表示ティムちゃん‼️
小布施町に何故、北斎美術館が出来たのか?
市村酒造の思惑もあったのか、と想像するけど、純粋に北斎の肉筆画を見てみたいと思ったよ😊
詳しい経緯を教えてくれていつもありがとうね😊😊
🐰🌊
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投稿を表示北斎と市村家・・・
好奇心に引火され、どーも市村家の方に関心が向いてしまって
「我田引水という誹謗中傷」を抱く、町民の方々の反応にも理解出来ました
芸術と商い、、、、深いです🤔