一条恵観山荘
一条恵観山荘一条恵観山荘は、江戸時代初期、後陽成天皇の皇子で摂政・関白を務めた一条恵観が京都西賀茂に造営した別邸の一部を昭和時代に移築したものです。建築家である堀口捨己が担当し、ホテルニューオータニや赤坂迎賓館の日本庭園などで有名な造園家・岩城亘太郎が庭園が手掛けました。しばらくは茶道宗偏流家元の茶道会館として
鎌倉屈指の和菓子
鎌倉屈指の和菓子鎌倉一の和菓子屋との呼び声も高い「美鈴」。若宮大路の東側を並行にはしる小町大路から一本路地を入った場所のさらに奥まったところにあります。月替わりや季節の和菓子は全て職人による手作りです。基本的に注文したお菓子を女将から受け取るというスタイルなので多くの和菓子店にあるようなショーケースがありません。運
つわものどもが夢の跡
つわものどもが夢の跡永福寺跡(ようふくじあと)は、源頼朝が建立した寺院の跡です。源義経、藤原泰衡など、頼朝の奥州攻めで亡くなった武将たちの鎮魂のため、平泉の中尊寺二階大堂を模して建立され、二階堂・薬師堂・阿弥陀堂の三堂が完成しました。奥州合戦で頼朝はこの二階大堂「大長寿院」を見て感嘆します。永福寺建立の経緯は「吾妻鏡」
紅天井
紅天井護良親王は 鎌倉幕府打倒の立役者として活躍し その功績により1333年に 征夷大将軍に任じられました。しかし足利尊氏との対立から 鎌倉二階堂の東光寺に幽閉の身となり ます。北条時行が鎌倉を攻めた 中先代の乱で 鎌倉から敗走する 足利直義により暗殺され 、28歳の若さで最期を迎えました。※前回の杉本城
鎌倉最古の寺
鎌倉最古の寺鎌倉幕府が開かれるよりも前の平安初期、734年に創建された鎌倉最古の寺。関東地方を歩いていた行基(ぎょうき)が、鎌倉の大蔵山から町を眺めて「ここに観音様を置こう」と思い自ら彫刻した十一面観音像を安置しました。1189年末に火災が起こります。寺の1人が火の中に飛び込んだところ観音経の功徳なのか衣をわず
いざ、鎌倉〈桜🌸に会いたくて〉
いざ、鎌倉〈桜🌸に会いたくて〉週末に満開になった🌸達。火曜日の暴風雨で散ってしまったかもとは思いながらも、足を運んでみました🚶見頃で迎えてくれました😊時折吹く風で、陽の光に照らされ輝きながら舞い踊る花びらの光景に、国籍関係なく声があがっていました。桜の前ではみんな優しい気持ちになるのかな‥素敵な時間をいただきました☺️ 今年もあ
追いかけろ、夏
追いかけろ、夏本番かのような日差しをたたえたせっかちな夏空に急かされて、6月中旬の湘南は海水浴を楽しむ人々や海の家の建設で早くも賑わっていました。