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画狂人葛飾北斎の美術館 ③
画狂人葛飾北斎の美術館 ③ 北斎筆の天井絵が描かれた二基の祭屋台があります。上町祭屋台と東町祭屋台です。上町祭屋台には、天井絵の「男浪(おなみ)」「女浪(めなみ)」があり1845年から翌年にかけて制作されました。一対で「怒涛図」と呼ばれます。紺碧の波はしぶきをあげながら、激しく渦を巻いています。代表作「冨嶽三十六景 神奈川沖浪
お写真の「富士越龍」に見入ってしまいました。鋭い富士山、鬼気迫るような黒い龍。北斎の、自分の肉体的な限界を悟りながら絵の真髄に更に近づきたいという気迫、叫びを感じた気がしました。 やはり絶筆の作品、龍は自身の投影だったのですね。 いつか実物を鑑賞したいなと思います。 素敵なご紹介ありがとうございます
🙏有難うございます あ〜💓楽しかった…🙏 何だか北斎様のお声が聞こえてきたかのように…👏👏 90歳にして〜「富士越龍」の力作✨ やはり画狂人と伝えられるだけの 鬼才の持ち主でらしたのですね👏🙏 「天我をして〜」の最後のお言葉 病床に…ですよね…🙏 凄すぎます✨ ティム様の✨ 美術館③につづく〜が
画狂人葛飾北斎の美術館 ②
画狂人葛飾北斎の美術館 ② 北斎専門の美術館は日本に2館しかありません。北斎館とすみだ北斎美術館です。北斎館は晩年の作品を中心に展示されているのが特徴です。 北斎館内回廊一点物の大変貴重な肉筆掛軸を多数所蔵・展示しており、北斎最後の作品と考えられている「富士越龍」は必見です。「富士越龍」北斎がその生涯の中で繰り返し描
なるほど。 古今東西、芸術の振興にはパトロンが必要で、教会や神社仏閣等宗教的なものだったり、宮廷だったり、資産家だったりしますが、小布施における北斎の芸術も市村家の功績無しには語れないのですね。 その流れで時代が下ると地元との摩擦も生まれ… 考えさせられます。
ティムちゃん‼️ 小布施町に何故、北斎美術館が出来たのか? 市村酒造の思惑もあったのか、と想像するけど、純粋に北斎の肉筆画を見てみたいと思ったよ😊 詳しい経緯を教えてくれていつもありがとうね😊😊 🐰🌊
北斎と市村家・・・ 好奇心に引火され、どーも市村家の方に関心が向いてしまって 「我田引水という誹謗中傷」を抱く、町民の方々の反応にも理解出来ました 芸術と商い、、、、深いです🤔
ティムちゃん‼️ おはようございます☔️ 素晴らしい北斎の浮世絵版画 富嶽三十六景の「神奈川沖浪裏」は誰もが知っているよね😍昔、永谷園のお茶漬け海苔を買うとおまけに入っていたような、今もかな? あ、歌川広重の東海道五拾三次でした💦 画狂人葛飾北斎美術館、案内をお願いしまーす🤲楽しみ😊😊
画狂人葛飾北斎の美術館 ①
画狂人葛飾北斎の美術館 ① なぜ北斎の作品を専門に扱う日本初の美術館が、人口1万人ほどの小さな田舎町に誕生したのでしょう。北斎館は今から48年前、1976年にオープンしました。北斎館が出来る前は、小布施の地元の人に北斎はあまり知られていない存在だったようです。北斎の作品は一般のお宅の蔵などに眠っていることもあり、海外の画商が買
北斎が最晩年に描いた作品「富士越龍図(ふじこしりゅうず)」が好きなので肉筆画です。