後楽園
後楽園こちらが唐門となります。小石川後楽園を正門から入ると、この唐門が、園内の眺望を遮断して、来園者に期待感を持たせます。花鳥の彩色彫刻が施された唐門は太平洋戦争の空襲で焼失しましたが4年前に復元されました。後楽園の名前の由来は、この庭園を完成させた水戸徳川藩二代藩主の光圀が、庭園の設計に大きく寄与した朱
九八屋
九八屋九八屋(くはちや)は、江戸時代の酒亭の様子を表したものです。「酒を飲むに昼は九分、夜は八分にすべし」ということから、その名がつけられました。江戸時代は飲み過ぎる客人が多かったのが所以です。酒飲みではなくても、万事は控えめが良いという教訓を教えています。 この建物の前には田園風景が広がります。一画にあ
白糸の滝
白糸の滝白糸の滝があります。中央に配置された大泉水という池の水を満たしています。 そこへ行くには池に配置された飛石を歩いていきます。(写真は飛石から撮影)飛石は導いてくれる石を決して一直線に並べることなく、少しずつ歩く方向を揺らすことによって、庭園の見るべき方向を右に左に指示し、誘導してくれます。石の配置に
円月橋
円月橋円月橋は、当時の最先端の技術で築かれ、橋が水面に映る姿が満月のようなのでこの名がついたそうです。儒学者であった朱舜水 (しゅしゅんすい)が設計したもので光圀に招かれて以来、駒込の水戸藩中屋敷で過ごし、後楽園の造園に大きく関与しました。そのため西湖の堤なども配置した和漢折衷の回遊式庭園になっています。
通天橋
通天橋この太鼓橋は通天橋という名がつけられています。通天橋という名前の橋が京都の東福寺にもあり、それを模したそうです。東福寺の橋の色は朱色でも真っ赤でもないのですが、橋から眼下に見える秋の紅葉の絶景はあまりにも有名です。西湖の堤は中国の風物を取り入れ、こちらは日本庭園の代表的な東福寺を模したのですね。徳川
西湖の堤
西湖の堤中国杭州の西湖は最小の湖でありながら、「西湖十景」と言われ景勝地になっています。西湖の美景が日本に伝えられたのは、江戸時代初頭で、大名や文化人達の間で、その景色を庭園に取り入れたいという動きが起こりました。小石川後楽園も、庭園内部に「西湖の堤」が造られました。