五大堂
五大堂坂上田村麻呂が毘沙門堂を建立し、後に慈覚大師円仁が五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。現在の建物は、 伊達政宗が再建したもので、東北地方現存最古の桃山建築です。内部には慈覚大師手彫りと伝える五大明王像が安置され、33年に一度ご開帳されます(次回予定は2039年)国重要文化
雲外天地の庭
雲外天地の庭円通院入口を入るとすぐに、見事な枯山水の庭園があります。「天の庭」「地の庭」で構成され、「天の庭」は松島湾に実在する七福神の島を現したもので、松島湾を白砂で、島々を石で、海岸を囲む山々を苔の築山で表されています。その天の庭から石橋で結ばれているのが「地の庭」になります。中⾨をくぐると本堂の前に、⼼字
円通院
円通院円通院は臨済宗妙⼼寺派で、伊達政宗の嫡孫光宗の菩提寺です。伊達光宗が19歳の若さでこの世を去り、この地に霊廟 (れいびょう)「三慧殿 (さんけいでん)」 が建立されます。三慧殿は伊達藩の技術の粋を集めた建築として国指定重要文化財に指定されています。内部は見ることが出来ないのですが、薔薇やダイヤ、スペ
国宝 瑞巌寺(ずいがんじ)
国宝 瑞巌寺(ずいがんじ)瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といいます。禅宗の寺院です。少しややこしいのですが、もともとは、慈覚大師円仁によって開創された天台宗延福寺でしたが、鎌倉時代北条時頼が臨済宗建長寺派への改宗を行い、寺名も円福寺と改めました。その後、伊達政宗が領民の精神的拠り所とするため盛んに神社仏閣の造営
三処奇観
三処奇観江戸時代初期に林春斎が記した「日本国事跡考」では、安芸の宮島(厳島)、丹後の天橋立、陸前の松島が「三処奇観」(卓越した三つの景観)と記されており、これが「日本三景」の由来とされています。 松島は先人たちが憧れ、数々の歌枕にも詠まれました。【武蔵野の月の若生えや松島種】「武蔵野の月」は見馴れた江戸の