画狂人葛飾北斎の美術館 ①
画狂人葛飾北斎の美術館 ①なぜ北斎の作品を専門に扱う日本初の美術館が、人口1万人ほどの小さな田舎町に誕生したのでしょう。北斎館は今から48年前、1976年にオープンしました。北斎館が出来る前は、小布施の地元の人に北斎はあまり知られていない存在だったようです。北斎の作品は一般のお宅の蔵などに眠っていることもあり、海外の画商が買
神奈川沖浪裏(冨嶽三十六景 )
神奈川沖浪裏(冨嶽三十六景 )2023年3月21日、第14回アジア・ウィーク・ニューヨークで行われたクリスティーズのオークションで、北斎の「神奈川沖浪裏」が約3億6000万円で落札されました。北斎作品の中での過去最高額を記録しました。版木が摩耗していない初期の摺りで、線がクリアなことが評価されたそうです。とはいえ、何百枚と出回る
八方睨み鳳凰図(岩松院)
八方睨み鳳凰図(岩松院)葛飾北斎88歳から89歳にかけての作品といわれています。北斎は83歳に鴻山の誘いで初めて小布施にきて、計4回訪れました。最後の4回目の滞在約1年をかけて岩松院本堂の天井に鳳凰図を描きました。翌年江戸に戻り、90歳で亡くなっています。大きさは畳21枚分。中国より輸入した鉱石を用いた岩絵具は150両だっ
葛飾北斎と高井鴻山(たかいこうざん)
葛飾北斎と高井鴻山(たかいこうざん)色々と寄り道をしましたが、今回の信州長野路の目的地は岩松院です。岩松院の話をする前に、葛飾北斎と高井鴻山(市村三九郎)の関係をお話いたします。鴻山は江戸に居た頃、北斎の門下生でした。師弟の合作のほか、北斎の手本を模写したものもあります。鴻山の絵には、そこかしこに北斎の名残が色濃く感じられます。北斎が
新しい魅力創出のために
新しい魅力創出のために小布施の街づくりの核を担ってきた「寄り付き料理 蔵部(くらぶ)」江戸時代から酒蔵で働く蔵人たちが寄り合い、冬の期間に寝泊まりをしながら酒を造り、休息し、食事をする「寄り付き場」が由来です。釜で炊く白米ごはん、信州産の肉や魚など素材のもつ旨みを最大に引き出した料理が特徴です。ここも株式会社小布施堂市村
小布施堂
小布施堂もともとの小布施堂は塩問屋、茶問屋、菜種油、酒造業、薬屋などを手広く営む商家で、家業の中核が江戸中期1755年に創業された桝一市村酒造場でした。その桝一が明治後期に栗菓子製造に乗り出します。当時の缶詰技術と酒造場としての工場生産方式を導入して銘菓「栗かのこ」を作ります。これが小布施堂の前身となります
桝一市村酒造場
桝一市村酒造場桝一市村酒造場・通称ますいち。前回お話した市村家が経営する酒造です。創業は江戸時代1755年より260年以上に渡り、現在でも木桶仕込みを行っております。全てにおいて手作業中心、一般米は使用せず、全量酒米仕込みにこだわります。ますいち12代目当主の市村三九郎が、その名も聞いた事がある方も多い高井鴻山(
ここまで偉大な街にしたもの
ここまで偉大な街にしたもの小布施は、人口は 11,400 人で長野県下で最も小さい町です。その特徴ある風土を活かし、先覚の遺した文化遺産を継承、発展させて「北斎と栗の町」「歴史と文化の 町」として景観を大切にしたまちづくりを行った 結果、現在では年間約 120 万人の人が訪れる町となりました。小布施を語る上で市村家という存在
小布施
小布施今回の長野訪問の本命は、小布施です。長野駅から長野電鉄で約30分の小布施は人気の観光地で、風情ある町並みもさることながら、何より栗菓子で知られます。小布施堂や桜井甘精堂と言えば、ご存じの方も多いかもしれません。生産量は国内の僅か3.6%でしかないのに全国区で「栗の町」として知られるのには理由がありま
酒舗 清水屋 佐久平店
酒舗 清水屋 佐久平店酒屋というより料亭といった風情の「清水屋」小海町の酒舗清水屋の2号店です。ここは、入手困難なお酒を扱う店として全国に名が通る酒舗で日本酒好きなら一度は行ってみたい酒屋です。また蔵元との信頼関係で直接仕入れているため、価格はどんなに入手困難なものでも価格は蔵元が定める価格で販売しています。普段からネッ