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天孫降臨の地
天孫降臨の地 高千穂は、神々が天上界から地上に降り立った天孫降臨の日本神話ゆかりの地です。天岩戸、天安河原、くしふるの峰など神話の舞台と伝えられる地と神々を祀る神社が数多く存在します。また、古事記、日本書紀に描かれている物語は、高天原神話、出雲神話、日向神話の3つの物語で構成されており、高千穂は高天原神話・日向神
江島神社 ⑤ 龍宮(わだつみのみや)
江島神社 ⑤ 龍宮(わだつみのみや) 奥津宮の隣には龍宮(わだつみのみや)があります。江島神社発祥の地とされる「江の島岩屋」のちょうど真上に建立されていることもあり、島内随一の強力なご利益スポットです。御祭神は龍宮大神です。古来より江ノ島は、龍神信仰は弁財天信仰と習合されていました。奥津宮の隣にあるのが、とてもロマンティックです。裏側に
江島神社 ④ 奥津宮
江島神社 ④ 奥津宮 辺津宮と中津宮から少し離れた場所にある奥津宮(おくつみや)は、江島神社でも高台に鎮座しています。宗像三女神(三姉妹)の長女にあたる女神・多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)が祀られています。「欽明天皇の御宇、神宣により詔して 宮を島南の竜穴に建てられ一歳二度の祭祀この時に始まる」 とあります。これは、
江島神社 ③ 中津宮
江島神社 ③ 中津宮 中津宮(なかつみや)もともとは「上之宮」として鎮座していた宮になります。宗像三女神の次女である市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)が御祭神です。絶世の美女であり、絶大な神力をもった女神のため、恋愛に加えて美人祈願で女性には特に人気です。弁財天の羽衣をイメージした絵馬掛けには、数多くの美に対する願い
江島神社 ② 辺津宮
江島神社 ② 辺津宮 江ノ島の中心である江島神社は、江の島大橋(歩道側は弁天橋)側から進むと順に、北側の「辺津宮(へつみや)」に田寸津比賣命(たぎつひめのみこと)を、中央の「中津宮(なかつみや)」に市寸島比賣命(いちきしまひめのみこと)を、西の「奥津宮(おくつみや)」に多紀理比賣命(たぎりひめのみこと)をそれぞれ祀ってい
江島神社 ① 天女と五頭竜
江島神社 ① 天女と五頭竜 江ノ島は、今でこそ神奈川の観光地で世界中から人が集まるところになりましたが、鎌倉時代頃までは島全体が信仰の対象とされており、みだりに渡ることはできませんでした。江ノ島には天女と五頭龍という伝説があります。 昔々、鎌倉の深沢には森の中に大きな湖があり、五つの頭を持つ五頭龍と呼ばれる龍が住んで
夜空を見上げること
夜空を見上げること 本日は五節句の4番目にあたる七夕です。 人日(1月7日)、上巳(3月3日)、端午(5月5日)、七夕(7月7日)、重陽(9月9日)ですので早いものです。昨年は催涙雨のことをお話ししてるので興味あるかたは見返していただけたらと思います。https://tamagawa-loop.coorum.jp/an
600年の時をこえて
600年の時をこえて 鶴ヶ城(会津若松城)の歴史はとても古く、葦名直盛(あしななおもり)が黒川の地に東黒川館を置いたことが始まりです。もともと芦名氏は三浦半島(神奈川県)の豪族で、鎌倉時代に会津盆地を所領するようになります。会津の地固めをしたのち、直盛は田中稲荷神社(会津若松市大町)に参拝し「この広大な会津盆地のどこに城
ならぬことはならぬものです
ならぬことはならぬものです 白虎隊は戊辰戦争(ぼしんせんそう)の際に会津藩隊士の子息で組織された軍隊です。飯盛山へ敗走し、燃え盛る会津を見て自決したことで知られる白虎隊ですが、奇跡的に生き残った隊士がいたことで、後世まで語り継がれることとなりました。わかりやすく説明いたします。白虎隊に所属していた隊士は10歳から会津藩校日新館
会津さざえ堂
会津さざえ堂 幕末の戊辰戦争における、白虎隊の悲劇のエピソードで有名な飯盛山にある会津さざえ堂。1796年に建立され、正式名称を円通三匝堂(えんつうさんそうどう)といいます。建てられた当時は正宗寺という寺院があり、その住職だった郁堂が考案しました。高さ16.5メートル、六角三層のお堂で、世界唯一の二重らせん構造の