涅槃門
涅槃門瑞鳳殿は70歳で生涯を閉じた伊達政宗の遺命により、その翌年ここ経ケ峯に造営された霊屋(おたまや)です。瑞鳳殿は、本殿、拝殿、御供所、涅槃門からなり、桃山文化の遺風を伝える豪華絢爛な廟建築として1931年、国宝に指定されましたが、1945年の戦争で全焼しました。現在の建物は焼失以前の瑞鳳殿を忠実に再建
ホトトギスの初音
ホトトギスの初音古くから人々に愛され歌に詠まれホトトギス。ホトトギスと読ませる漢字だけでも「杜鵑」「時鳥」「子規」「郭公」「不如帰」「杜魂」「蜀魂」と数種あります。古来、その年に初めて聞くホトトギスの鳴き声をとても縁起がいいものとして「ホトトギスの初音」といって珍重していました。枕草子ではホトトギスの初音を人より早
五大堂
五大堂坂上田村麻呂が毘沙門堂を建立し、後に慈覚大師円仁が五大明王像を安置したことから、五大堂と呼ばれるようになりました。現在の建物は、 伊達政宗が再建したもので、東北地方現存最古の桃山建築です。内部には慈覚大師手彫りと伝える五大明王像が安置され、33年に一度ご開帳されます(次回予定は2039年)国重要文化
雲外天地の庭
雲外天地の庭円通院入口を入るとすぐに、見事な枯山水の庭園があります。「天の庭」「地の庭」で構成され、「天の庭」は松島湾に実在する七福神の島を現したもので、松島湾を白砂で、島々を石で、海岸を囲む山々を苔の築山で表されています。その天の庭から石橋で結ばれているのが「地の庭」になります。中⾨をくぐると本堂の前に、⼼字
円通院
円通院円通院は臨済宗妙⼼寺派で、伊達政宗の嫡孫光宗の菩提寺です。伊達光宗が19歳の若さでこの世を去り、この地に霊廟 (れいびょう)「三慧殿 (さんけいでん)」 が建立されます。三慧殿は伊達藩の技術の粋を集めた建築として国指定重要文化財に指定されています。内部は見ることが出来ないのですが、薔薇やダイヤ、スペ
四寺廻廊(しじかいろう)
四寺廻廊(しじかいろう)風景豊かな巡礼の地に築かれた松島の瑞巌寺、山寺の立石寺、平泉の中尊寺と毛越寺。この四つの聖地巡礼を「四寺廻廊」と言います。四寺を開いたのは、慈覚大師円仁(じかくだいしえんにん)は、日本を代表する宗教者です。世界三大旅行記のひとつ入唐求法巡礼行記の著者です。比叡山延暦寺の最澄の弟子で最後の遣唐使です。
国宝 瑞巌寺(ずいがんじ)
国宝 瑞巌寺(ずいがんじ)瑞巌寺は正式名称を「松島青龍山瑞巌円福禅寺」といいます。禅宗の寺院です。少しややこしいのですが、もともとは、慈覚大師円仁によって開創された天台宗延福寺でしたが、鎌倉時代北条時頼が臨済宗建長寺派への改宗を行い、寺名も円福寺と改めました。その後、伊達政宗が領民の精神的拠り所とするため盛んに神社仏閣の造営
三処奇観
三処奇観江戸時代初期に林春斎が記した「日本国事跡考」では、安芸の宮島(厳島)、丹後の天橋立、陸前の松島が「三処奇観」(卓越した三つの景観)と記されており、これが「日本三景」の由来とされています。 松島は先人たちが憧れ、数々の歌枕にも詠まれました。【武蔵野の月の若生えや松島種】「武蔵野の月」は見馴れた江戸の
もののけ 京都
もののけ 京都現代美術の村上隆の大規模な個展が、開館90周年を迎える京都市京セラ美術館で開催しています。村上隆の展覧会は国内で8年ぶり、東京以外では、初めての大規模展となり、なんと京都以外では開催しないのです。江戸時代に京都を中心に活躍した絵師たちの代表作を日本画を専攻していた村上隆が独自に解釈、再構築した新作や
杜の都
杜の都今から約400年前に伊達政宗は、家臣たちに屋敷内には飢餓に備えて栗・梅・柿などの実のなる木や竹を植え、隣との境に杉を植えるように奨めました。こうしてできた屋敷林、広瀬川や青葉山の緑が一体となって仙台はたちまち全体が緑に包まれていきました。杜の都と言われた由縁です。